涅槃会1

お数珠も持たない、教会へも殆ど行った事がない孫娘に『涅槃会』奉献のお役の声を掛けて頂きました。私は絶対無理だと思っていましたが家族内での葛藤の後、支部の皆さんの力強い後押しもあったお陰さまで承諾を得ました。
去年、息子夫婦に離婚騒動が起きました。そんな時、息子が高速道路のトンネル内で単独事故を起こし、ひとつ間違えば大惨事になる所でしたが、車が犠牲になってくれただけで本人はかすり傷一つ無く、大変なご守護を頂きました。
今年成人式を迎えた孫に奉献のお役が回って来た事を想うと、改めていのちを救って貰えた息子共々、信仰への第一歩と成れる様にと願って、2月15日の聖壇に送り出させてもらいました。ありがとうございました。 -合掌-  ≪S・M≫

お釈迦さまは弟子たちに「自らを燈明とし、自らを依りどころとしなさい。そして、法を燈明とし、法を依りどころとしなさい」との言葉を残し、静かに涅槃に入られました。法を依りどころとするとは「困ったときは仏(お釈迦さま)の教えを依りどころにしなさい」ということです。それでは自らを依りどころとするとは、どう言うことでしょうか。今、ここに居る自分が本当に自分の頼り(依りどころ)になる存在でしょうか。その答えは法句経の160番に「自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして(自分の)主であろうか。自己をよく整えたならば、得がたき主を得る」とあります。自己を整えるというやっかいな問題がありますが、突き詰めると、自分以外のものは「諸行無常」で究極の依りどころとならない。つまり、自分自身ほど頼りになる存在は他に無いというのは確かなようです。自らを依りどころとし、日々、怠ることなく精進しましょう。
お孫さんがこれを機会に、信仰への第一歩となれば良いですね。≪投稿担当:Y・S≫

涅槃会3