仲の悪い兄たちのかけ橋に、なかなか成れない
佼成会にご縁を頂いて早や28年、毎月刊行されている『佼成』には、仏教の教えを生活に密着した事柄から解りやすく掲載してあるので、友人や知人にはためらうことなく読んで貰えるように勧めてきました。でも、兄弟や親せきにはなかなか勧めることが出来ませんでした。
私が入会間もないころ、兄に読むことを勧めてみましたが、そっけなく断られました。その時はあまりしつこく勧めても駄目かと思い、読んでほしいという願いだけは捨てずに持ち続けていました。
やがて母の十三回忌を迎えた時、一度は収まっていた兄たちの相続争いが再燃して口も利かない状態になってしまいました。そんな時、上の兄にそれとなく『佼成』を勧めてみると読んでくれるようになりました。それからは毎月、手紙を添えて『佼成』を送り続けていますが、何の返事もありません。
7月に行われた支部法座で、教会長さんから「仲の悪い兄たちの架け橋になること」それにも増して「私たち夫婦が仲好くすることが大切である」ことをご指導頂きました。兄たちの架け橋になる事はまだ出来ていませんが、先日、上の兄より思いがけず「毎月欠かさず読んでいます。人は誰しも心配ごとや苦しみ、悩みを持って生活しているが、心の持ちようによってそれらは軽減し、安らぎを得て前向きに生きていける手法が解りやすく説かれています。多くの会員さんの手記を通して、感銘を受けました。人に優しくすることが人生を明るく楽しく温かいものにしてくれる、という釈尊の教えが日常生活の中に生かされていると思う」という内容の手紙が届きました。もう、とっても嬉しかったです。それに引き換え下の兄は「宗教はコリゴリだ」と言って未だに受け取ってくれません。一体、何があったというのでしょうか。こんな状態ですが、いつか兄たちが和解する日が来る事を諦めずに念じて、精進努力を続けます。-合掌- ≪K・S≫
この原稿は7月25日付のブログの続編です。お兄さんたちが1日も早く和解する事を祈ります。「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」とは何かで読んだ言葉ですが、実にその通りだと感じます。私などは不満の塊のような人間なので、いつも思い出しては反省しています。≪投稿者:Y・S≫