7月11日
お久しぶりです(^^)丹波支部だよりです
今日で東日本大震災がおきてちょうど4ヶ月です。
いろいろなことがありました。
自然災害と一言ではくくれず、風評被害という人災も目の当たりにしています。
その中で、また、自分自身の非力さを思い知った4ヶ月でもあったように思います。
7月10日
丹波支部では、実際に、個人で東北にボランティアに行かれた方が、話をしてくださいました。
東日本大震災を語る
19メートルの波が町を襲う!
自分の身長の、10倍以上です、皆さん、想像できますか?
私は某通信企業のお仕事に関わっています。その関係上、年間の約3分の一は、東日本に出張しています。
今回の地震の前後は、東京→仙台→秋田→東京の出張でした。9日に仙台で前触れの震度5強を人生で初めて体験しました。
そして、11日、私は東京、お台場にいました。起こった瞬間、「これは大きい」と思いました。高層ビルがゆらゆらと揺れています。電車もすべて止まっています。家内に電話しようとしますが、携帯は繋がらず、メールもなかなか届きませんでした。やっと繋がったメールと電話で、津波があり高い所に避難しなくては、と思いました。『お台場は海の上』という認識があり、ともかく陸に移動しようと思いました。周りをみると、車道の半分くらいを埋める人の群れができていました。皆さん、もくもくと陸にむかっています。私もそういう『帰宅難民』なっていました。幸い、私は浜松町に友人がおり、そこで泊めてもらうことができました。
また、翌日、動いたモノレールで空港にも行くことができ、13日に予定していた父の三回忌も無事に間に合いました。
落ち着くと、地震の被害の甚大さに呆然としました。
東北でお世話になった方、お酒をに飲みにいったお店、出会った方々が気がかりでした。いたたまれない思いにかられました。
最初の一か月は知り合いから「来ないほうがいい」と言われました。
なぜ?と聞くと「来ても絶望するから、二次被害になるから」と。
確かに個人で行かれた方は、車がパンクしたり、かえって向こうに迷惑をかけた人もあったように聞きます。道は今でもひどい状態のところが多いです。
そして、「自衛隊が有り難かった」と、いたるところで聞きました。
装甲車が100台、ずらりと駆けつけてくれた、何百人の自衛隊員が横並びになり行方不明者を探してくれていた。などなど・・・・。
私は、震災後、5月12日にやっと、東北に行くことができました。
秋田→盛岡の知り合いをたずねました。むかえてくれた元気な顔にかえってこちらが励まされるような気がしました。「命があり、家族がいて、家があり、仕事があるだけで幸せなんだ」と実感しました。
東北のセミナーを受けてくれた28歳の若者が命を落としていました。
いちどは助かって避難所にいたのに「おじいちゃんを迎えにいく」と自宅にもどり、亡くなりました。知り合いの社長さんも亡くなりました。お酒をのんだお魚の美味しいお店は跡形もありません。
5月21日に沿岸部を訪れましたが、ほんとうに痛ましい光景が広がっていました。
「何から手をつけられるのだろう?何をしたらいいのだろう?」
実は地震から三日後に、石巻から「阪神大震災の復興を何から始めたのか、教えてほしい」とのメールを受け取っていました。
阪神大震災は、何年で復興できたか?皆さんはご存知ですか?
行政上は11年で復興できたということです。
では?東日本は?
おりしも、管首相が昨日、「東日本復興は数十年」と言われたそうです。
私も、長くかかるだろうと思います。息の長い支援が必要です。
仕事の面からは、沿岸部から撤退、内陸部で頑張ろうとしている企業のお手伝いができれば、と思います。私自身、目標として2020年までは東日本への支援を続けたいと思っております。
さて、6月18日に、個人として現地のボランティアに参加しました。
名取の体育館に朝、集まり、個人のお宅にたまったヘドロをかき出し、私をふくめ4人の男性が一日で250個余りの土嚢をつくりました。
汗を流し、人のお役に立てた、という意味では良かったかな、と思える一日でした。
6月19日 石巻の大川小学校をたずねました。
108人の生徒さんのうち、74人が津波で亡くなられた、痛ましいところです。
ちょうど、18日に100日祭があり、祭壇がありました。建てられた石碑の前に多くの献花がありました。
大川小学校は、海岸から3キロの場所にあるそうです。
3キロ向こうの海から波がやってくる、ここ、篠山と同じような緑豊かな山間の小学校に津波がくるとは、誰が想像しただろう、と思いました。
津波が教えてくれることは、いろいろあります。
大川にかかる立派な橋なら大丈夫、と避難した人もありましたが、その橋も流されています。小学校の裏山に駆け上った人だけが助かりました。
車に乗って逃げようとした人も助かりません。とにかく高いところへ。
だけど、山だと地震で崩れたりもするんですね。
全く、何が命の境界線ななのかわからないのが、本当です。
最後に東北の人たちに祈りをこめて「故郷」をみなさんと一緒に歌いたいと思います。どうぞ東北の皆さんが「故郷」に帰れますように!
~支部長さんから~
大森尉智さん、貴重なお話、ありがとうございました。
本当に大変なお話を聞かせていただき、胸がいっぱいになるというか、、。
社会に関わっておられるその中で、社会のお役に立ちたいと思われているのだなぁ
と、思わせていただきました。それは、仏教でいう菩薩行にほかなりません。
また、ウクレレをひいてくださり、ありがとうございます。
「故郷」は会長先生がお好きな歌です。願いというか祈りというかそういうことを
感じました。
(^^)これから、ウクレレ王子と呼ばせていただこうかな?(^^)