支部壮年部員 U.さんよりメッセージです。


大家、好久不見了(皆さん、お久しぶりです)!

前回同様、中国や台湾関係の仕事をしておりますので、中国や台湾に最近は
ほぼ毎月どちらかに行っておりますが、比率でいうと台湾は出張がメインで、
中国はどちらかといえばプライベートの方が多いです。

前回のアモイに続き、小生が中国在住中に投稿できなかった街を
ご紹介させて頂きます。
今回は湖北省の北部にある襄陽(じょうよう シャンヤン)という街を
ご紹介したいと思います。

襄陽は三国志ファンでしたら荊州の中心地で、
 『劉備玄徳が一時期支配していた街、
と言えばピンとくると思います。
ただ、現在の襄陽と違い三国時代の襄陽は市内を流れる漢水(長江の支流)の
南岸の部分を言い、対岸は曹操が支配する樊城(はんじょう ファンチェン)と
いう全く違った街で、劉備が支配する襄陽と対峙していました。
1952年に襄陽と樊城が合併して襄樊(じょうはん シャンファン)という名前に
なり、2010年に襄陽に名前が変わりましたが、一般の中国人は襄陽よりも
旧称の襄樊の方がどうもなじみがあるみたいです。
ちなみに襄陽駅や市の中心部は襄陽地区ではなく樊城地区にあります。

また、諸葛孔明が劉備玄徳に軍師として招かれるまで、戦乱をさけて住んでいた
隆中という村が襄陽郊外にあり、この地で「三顧の礼」の故事が生まれました。


襄陽(荊州)城内です。

中国の街の多くは
このように城壁で
囲まれていました。









諸葛孔明が住んでいた隆中です。
襄陽市内から車で30分ぐらいの
位置にあり、観光名所になって
います。





襄陽を含めた荊州は中国の中心部に位置し、古くから交通の要衝だった事もあり、
中国のどの王朝もこの地を欲しがり、特に三国志の時代は劉備、曹操、孫権が
1回ずつ支配するなど、支配権が何度も入れ替わり、比較的最近の日中戦争や
国共内戦でも争奪戦が繰り広げられました。
現在、襄陽は人口が200万人以上の大都市で、その多くが土着の襄陽人で
あるとの事で、幾多の戦争にめげずに故郷を愛し守ってきた襄陽人の我慢強さに
感銘を受けました。
近年は日産自動車の合弁会社である東風日産の工場が郊外にあり、
自動車の街としての新たな顔もあり、襄陽市内にはシルフィやマーチなど
日産の車を多くみかけます。

今後も中国での新たな発見をご紹介させて頂ければと思っておりますので、
宜しくお願い致します。

謝謝!下次再見(またお会いしましょう)!
                      合掌   H..