光祥さまが昨年11月25日に青年幹部会でお話されたご講話のDVDを、
1月10日支部輪読会の時間を利用して拝見させていただきました。
長者窮子のたとえ話(妙法蓮華経信解品第四)から仏の子であると自覚するとは
どういうことなのか
その中で私が大切だと思わせていただいたのは、次の2点です。
①人の悩みを聞くことを通して自分の囚われを外し、自分自身が温かさを発揮し
自分の思いやりの心に気づくことで、相手の努力している姿を私が心から拝める
ようになり、仏さまのはからいに私が気づけるという宝物を頂いて幸せに
なるのは自分自身なのだということです。
それが、仏の子であると自覚することです。
②大きな問題・難しい問題になればなる程その問題をどうにかすることを脇に
置いておき、その人を拝むこと。人を拝むということは今が幸せだと観ること
です。今生きている命をそのまま尊ぶことです。
今が幸せだと喜ぶ心に仏さまが宿り、その心にふさわしい果報・結果が
出ます。そして豊かな人生を歩む主人公は誰でもない私なのだと悟ることです。
地区の婦人部のAさんは、いろいろな問題を抱えている友人のことを心配され、
何とかしてあげたいと思っていましたが、光祥さまのDVDを拝見して、
自分自身が今の幸せに感謝することに気づかれました。
私は地区主任としてみなさんの悩みを聴かせていただいて、何とかしてあげたい、
何とかしてあげようという思いが強かったのですが、相手の問題を通して、まず、
自分のこととしてとらえる。
相手を変えるのではなく相手の仏性を拝むことの大切さ
を学ばせていただきました。
ありがとうございました。
合掌 O