大家、好久不見了(皆さん、お久しぶりです)!
昨年の10月に中国で足を大怪我して、2年ぶりに日本に帰国し治療に専念して
おりました。怪我を通して足元が全然固まっていない自分に気づきました。
今後は、日本から時々行く中国を紹介していくことになりますが、しっかりと足元を
固めていけるよう頑張らせていただきます。
今回は6月に私用で広東省の珠海に行きました。
珠海はマカオの北隣にあり、1981年に経済特区に指定されました。街の名前のよ
うにどことなく垢ぬけた感じのする綺麗な街です。
せっかくの機会ですのでマカオ(中国語で澳門(アオメン)と呼びます)に行って
みましたが、平日にも関わらずイミグレーションが混雑しほんの数百メートルで
マカオ側に着くのに1時間以上かかりました。土日は2時間以上かかるそうです。
左が「珠海側のイミグレーション」、右が「マカオ側のイミグレーション」です。
マカオはご存じの通りカジノなどで有名ですが、1999年まで400年以上もの間
ポルトガルの支配を受けていましたので、街のあちこちにポルトガルの影響を色濃く
残しています。
ポルトガル統治時代の市役所前の広場、セナド広場です。
(少し小さいですが、真ん中の丸いものが地球儀です)
長らく植民地だった影響で街中にはこのようなポルトガル語表記の標識が数多くありました。その裏には悲しい過去もあったんですね。
マカオの名前の由来となった道教の廟、媽閣廟(マーカーミャオ)です。ポルトガル統治前からある廟で、平日に関わらず多くの人が参拝していて、私の前の赴任地の天津からツアーで来られた年輩の方々も来ており、久々に天津の話に花を咲かせました。
中国にはYOUKE(ユークー)という日本で言うユーチューブみたいな動画サイトがあ
り、今回、学徒動員を前に戦前最後の早慶戦を企画・開催に奔走した学生と関係者を
描いた映画の中で2008年に公開された「ラストゲーム~最後の早慶戦」を観ました。
試合に出場したメンバーの中には実際に戦死した方もいましたので、私の大学時代は
非常に恵まれていた、と改めて感じました。
当時、日本が敵国であるにもかかわらず、中国人の方から「この中の多くの人が
戦死した」とコメントを投稿していた事に大変感銘を受けました。と同時に平和への
思いは同じという事を感じました。ついでで恐縮ですが、試合開催に奔走した当時の
慶應のキャプテンが私の高校の大先輩で、偉大な先輩が母校にいる事に誇りを
感じています。
中国はとても元気です。中国は何事にも下を向かずひたむきに頑張っている所に
気づき、あらゆる所で元気を頂きました。私も怪我をした事で下を向いていた事も
ありましたが、下を向かずこれを今後の生活と仕事に活かしていきたいと思って
おります。
本部参拝(6月9日・10日)に参加して、私の中国ブログのファンがいることが分かり感動しました。
今後も、中国での新たな発見をご紹介させて頂ければと思っておりますので、
宜しくお願い致します。
謝謝!下次再見(またお会いしましょう)!
合掌 H.U.