支部青年男子部長 U.さんよりメッセージです。

大家好(皆様こんにちは)!
天津に来てもうすぐ5カ月になります。
先月は日本と同様に暑い日々が続いていましたが、最近は暑さも一段落が
過ぎた感があり、夜は結構涼しいです。
来月がベストシーズンになるのではと見ています。

先月は何かと忙しく日曜出勤もありましたので、今回はこの時の振替休日を
利用して、山東省の青島(チンタオ)に行ってきました。
青島は天津から高速鉄道で5時間程の距離にある港町で、同時に軍港、保養地の
別の顔を持った街で、19世紀の末にドイツがこの辺り一帯を租借と言って
中国から土地を借りて統治していました。20世紀初期に日本が第一次世界大戦の
時にドイツと青島で戦争を行い占領し、その後、中国に返還されましたが、
終戦まで事実上支配していました。丁度私の友人が青島に来ておりましたので、
保養を兼ねて行ってみました。
『エクスプロア in チャイナ』5回目の今回はその青島をご紹介させて頂きます。

青島の玄関口、青島駅です。
(となりの写真は今回天津から乗った高速鉄道の写真。
新幹線とそっくりの形をしています)
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青島にはドイツ統治時代からの洋館が数多く残っており、非常に美しい景観を
醸し出しています。
(写真左は警察署、右は教会とドイツ統治時代の街並みを残す界隈)
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青島にはこのような海水浴場がいくつもあり、どこも人でいっぱいでした。
私も大学時代以来の海水浴をしました。水もきれいで波もおだやかで非常に
気持ち良かったです。
(右は山から海水浴場に向かって撮った写真。眼下の建物は別荘街)
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青島と言えば皆様が連想するのは青島ビールではないでしょうか。
起源はドイツ統治時代にさかのぼり、当地にあるラオシャンという山の
わき水を利用したビールで、生で飲むビールはドイツビールみたいな
感じで非常においしく頂けました。
また海産物も豊富で食事の際にはハマグリなどを頂き、買って帰って
天津でもおいしく頂きました。
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この写真は戦前の日本人中学校(現在の高校)であった青島中学校の校舎です。
甲子園にも数回出場した野球の強豪校で、現在は中国海洋大学の校舎として
使われています。ここにも日本人がたくさん住んでいたんですね。
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これは少しこぼれ話ですが、ドイツ人カール・ユーハイムは以前、
ドイツ統治時代の青島で菓子職人をしていました。彼は第一次世界大戦で
日本が青島を占領した時に捕虜として日本に連れてこられ、そのまま日本に
留まり神戸の洋菓子メーカーの老舗、ユーハイムを作りました。
今回を通じて感じた事は、青島の美しい街並みの裏にやはり戦争がつきまとって
いた事、先述の洋風建築やビールなど、外国人が残した遺産を大事に守って、
今日の発展した青島を作った中国人のエネルギーに感心させられました。

今後も中国での新たな発見をご紹介させて頂ければと思っておりますので、
宜しくお願い致します。

それでは、祝大家健康好(皆様お元気で)! 謝謝!
                    合掌   H.U. in 山東省青島

内田さんより、原稿は、8月26日にいただきましたが、遅くなり申し訳なく
思っています。
東日本の方々、十津川の方々、被災された方々、お元気ですか?
よく堪えて、明るくがんばられている姿、私達も心から応援しています。
私達も、阪神淡路大震災の時、規模は比較にならなくても、悲しく苦しく辛かった。
中国も戦争があり、そして復興してきました。
日本も、戦後10年でバブルの時代があり、阪神淡路大震災の後、
みんなの力でここまで元気になってきています。
明るい未来を信じて、諦めず、一緒に夢を描いて、一歩づつ、支えあって、
助け合って、歩んでいきましょうね。
                             ブログM1

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