西宮南支部   不登校引きこもりの親子へのメッセージ私は、不登校の子供を受け止められず、認められず苦しみました。しかし、高校から休まず皆勤です。今、高2になって、この夏、全国大会に、ボランティア、クラブにと楽しく明るく学校生活をしています。今、悩んで苦しんでおられる方に、何かの参考になればと思い、投稿させていただきました。

息子は、中1の9月不登校が始まりました。初めは、部屋に閉じこもり、暴れ、食事もせず、夜にいつの間にか食べた後がありました。何がどうなったのか、部屋の外から声をかけても、返事のない状態に焦りました。青年部さんの声かけで、やっとドアを開けました。

それでも、何もしない、髪の毛も切らず、病院にも行かない、雨でも傘を持っていかず、汚いワイシャツのまま、話すと 「うるさい、黙れ」と。
私は手がつけられず、はらはらして、寝られず、脂汗もかきました。彼にとって、それどころでなく、自分を何とかしなければと、必死だったから、何も聞こえてなかったみたいです。

今、息子にその時のことを聞くと、
「信じて欲しかった。認めて欲しかった。褒めて欲しかった」と。信じてもらえない、認めてもらえない辛さ。
「部屋だけが安全な場所だった。」
人に責められる。人を責めてしまう。学校も、先生も、友達も、家族も。
「学校の先生や友達の批判的な目を思うと、前日約束しても、朝は起きられなかった。行かなければと頭では解っているけれど、行きたくなかった。」
そうして、出来なかったことで、また、自分を責めていきました。

私達は本心、彼に学校に行ってほしいという気持ちで、前の元気な明るい彼に戻って欲しいと望んでいました。彼に何か言えば、反対の方に進みました。無気力になっていきました。合わせることしか出来なくなり、何とか元気になって欲しいと、出来ない野球を一緒にしたり、野球チームを一緒に探し、ロックコンサートに一緒に行きました。塾に行きたいと言えば塾に行かせました。
あの時、主人だけが、学校の話をせず、バイトやバイクの話にのっていました。主人だけが、彼をそのまま見ていました。私が笑った時、彼は、認めてくれた気がすると言うので、“引きつっても笑顔”を心がけました。

私は、何ともならない状態に、腹が立ち、焦りながらも、自分を見つめた時、「息子を思う気持ちが一杯でがんばっている」と自分を認め、褒めることが出来ました。そうした時、それまで息子は甘えているとか努力しないと見ていたけれど、話さないのは、話せないほど辛い、何もしないのは、何も出来ないほど辛い、暴れたのは、暴れなきゃならないほど辛い気持ちなんだと息子を認めることが出来、許せました。

彼に不平や不満をいっていた時は何ともなりませんでしたが、私の失敗した時の話をすると、息子は「無理をしなくてもいい」と、心が安らいだみたいです。息子は私の鏡でした。不信、焦り、不安、孤独。私と息子の思いは同じでした。私も、息子の状態がやっと解って、「辛いね、大丈夫?」と声かけられた時から変化し、元気になった気がします。

教えでは、過去と他人は変わらない、変えられるのは自分の今と未来だけだと仏さまの教えの通りでした。子供も主人も考えたら、他人です。変わるわけがなかった。それなのに、私は、変えようとしていました。ありのままに見て接してくれた主人のお陰さまで、息子は、かろうじて、別室登校出来たのだと思います。思春期反抗期のこの時期に、友達や先生と共に悩むこの時期に一人でがんばろうとした息子が愛おしくなりました。せめて、家族だけでも支えなければいけなかったと思いました。あの時の彼には、安心出来て、信じ、信じてもらえる居場所が、必要だったと気が付きました。

今、息子は、あの時、普通に、明るく、優しく、笑顔で接してくれた人達を思い出し、涙ぐんでいます。自分もそんな人になりたいと言っています。

人という字は支えあって生きていくとお話を聞き、不登校の親子は人の支えが無くなった状態でいます。今振り返り、倒れそうな親子を支えてくださったみなさんに感謝しています。

不登校の子供のお陰で、「夫婦で話し合い、お互いを理解出来るようになり、家族の絆が深まった」と、今、元気になった子供を見て思います。

黙って見守ること、思いやりのある言葉かけ、温かい食事、認めて、褒めて、喜んで家庭教育で教えていただき、努力してきて良かったと思います。ありがとうございました。                       合掌     Y.M