開祖さまが、病床で豆まきの練習をされ、節分会の式典に
挑まれてた話を思い出しました。

みんなを幸せにしたいと思い、法華経や法を伝えたい思いの中で、
みんなを喜ばせたいと、病気であっても地道に練習されていた
ことを思い出しました。

この間、開祖さまが毎日、三部経のその日のお経を読誦することが
決まりになっていて、例えば、2日なら方便品第二、3日なら譬喩品第三を
読誦しておられたことを知りました。

コロナ禍の最近、私もそうしていました。
そのことを知ってから、毎日が開祖さまが一緒に
あげてくださっているようで、また、どんな思いでおあげになって
おられたのかと、思いを馳せ、ワクワクした気持ちになります。

比叡山で、日蓮さんや親鸞さんや宗派を開かれた高祖方も法華経を
読まれていたと思うと、お経に込められたお釈迦様、開祖さまの人を
救いたい思いや願い真実が息づいているようで、
「孤独だけど、孤独じゃない」、力強さを感じます。

ずっとお釈迦様や開祖さまが、みんなを見守っていただいているのですね。

教会長さんの神戸教会のスローガン「時空をこえてつながろう」って
こういう意味だったんだと受け止めました。

マスクとうがいと手洗い、ソーシャルディスタンスを守って、
また再会出来る日を楽しみにしています。

※10月18日佼成新聞1面2面に、私がいつもブログを読んでいる方の記事が載っていました。
その方が、お経を読み、開祖さまの解説をいれ、
自分の行を見つけ、実践報告されているブログを、
私は、自燈明・法燈明・菩薩行精進として楽しみにし、
コロナ禍の中、「私も!」と励まされています。

「仏のおまつと呼ばれたい」で検索してみてください。
                                     合掌  M1