灘支部は阪神・淡路大震災犠牲者慰霊法要の日教会当番のお役をさせていただきました。
平成22年1月17日、神戸教会にて阪神淡路大震災の慰霊供養が行なわれたこの日、灘支部が教会当番でした。なにより両親の供養になると思い、仕事は、お休みを頂き、当番修行に入らせて頂きました。震災3日目、私と弟は多勢の自衛隊の人達に見守られながら、父と母の遺骨を土の中から拾っては骨壺に入れておりました。地震で倒れた木造住宅に下から火が回り、生きながら動けぬままでの焼死でした。水が出ないのです。3日も経つというのに、骨はまだ暖かでした。地震直後、私と子供はつぶれた家屋の中で生き埋めになっていました。外からの声は聞こえても中の声は外届きません。
両親がまだ息のある内に駆けつける事ができなかった自分をせめ、悔しさで胸が張り
裂けそうでした。でも、後から考えるとこれは仏様のおはからいだったのです。も
し、その場にいたら、私は前に進む事が出来なかったでしょう。震災の丁度1年前、
私は幼子を2人連れて離婚しており、悲しみに浸っている時間はなかったのです。脚
の指が動かないだけで上手く歩くことが出来ません。医者がくれるのはビタミン剤だ
けです。こんな私を誰が雇ってくれるのか、不安で胸がいっぱいでした。義援金で食
いつなぎながら、主任さん達とガレキの山をお手取りに歩きました。3ヵ月後、奇跡
的に普通に歩くことが出来るようになりました。家も借りる事ができ、仕事も見つか
りました。不自由な足でのお手取りに仏様が慈悲をかけて下さったように思います。
あれから15年、前だけを見て歩いてきました。今も目の前の事で精一杯の自分です
が、いつかは、穏やかな気持ちで後ろを振り返るときが来るでしょう。
開祖さまはおっしゃいました。『マイナスと思われるようなご縁もすべて丸○』だと。
最後にすべての阪神淡路大震災犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。 合掌
灘支部 Nさん(50代)