【4月の教会長メッセージ】
3月は、万燈のお披露目や創立80周年の記念式典が行われました。開祖さまが創立して下さったおかげさまで、み教えが学べます。また、春の彼岸会が地区で行われて、いのちのバトンは子々孫々どのように繋がれてきたのでしょうか。4月には、降誕会、教会発足68周年がありますが、自立した信仰者として、意識せずとも身についたものが発揮できる私たちでありたいと思います。
今月の会長法話は、【円満な人になる】「あいさつ一つで」「悲しみを知る人に」のご指導を頂きました。「おはようございます」とあいさつをしますが、「ございます」の中に、仏さまがいてくださいます。すれ違いざまに「おはよう」といい交わしていた人たちも、ていねいに相手と向き合ってあいさつするようになり、職場の空気が和らいできたというのです。「あいさつ」には、周りを変える力があるのですね。神戸教会では、「大好きな○○さんおはようございます」の実践を促しています。
円満とは、「十分に満ち足りて、欠点や不足のないこと」です。仏教徒にとっては、仏さまのような人になることを意味します。人に安心や満足を与えたり、人と仲良くしたいという気持ちを発さしめたり、調和をもたらしたりするのは、仏・菩薩のはたらきをする人です。出会いを円満な人間関係にする決め手はあいさつをとおして、相手の仏性を拝むことにある」と教えて頂きました。
清九郎という妙好人(浄土真宗の篤信者)は、留守宅のお金を盗まれたとき、「私は仏の慈悲に導かれて、“盗まれる身に”にさせてもらい、これほどうれしいことはありません」と語りました。この方は、父親を早くに亡くし、貧しい暮らしのなか出会った妻とも33歳のときに死別。悲しみやつらさをとことん味わったからこそわかる、人の心の痛み。
困難が教えてくれる「感謝の種」に気づける喜びこそ信仰の醍醐味であると教えていただきました。
「悲智円満」という言葉があります。釈尊も私たちも慈悲と智慧をあますことなく発揮するためにこの世に願って生まれてきたと言われています。「悲智円満」は芳澍女学院の建学の精神でもあります。このような人格完成をめざしたいものです。 合掌