【12月の教会長メッセージ】
11月は、開祖さま生誕会があり神戸では、奉祝コンサートにキム・シンさんをお迎えし、宇宙の生命を感じる壮大な音色に包まれ、心を広げていただき感動しました。創立80周年、100周年に向けての出発の年の12月となりました。
今月の会長法話【「型」を身につける】から「型」は方便、「型」は無我の実践と教えて頂きました。武道・芸能等の手本となる体勢や動作のことを「型」といいますが、私たち日常における身近な所作にも「型」があります。たとえば、約束した時間を守る、朝、家族に「おはよう」のあいさつをする、はきものをそろえる、呼ばれたら「はい」の返事をする所作を「型」として身につけ、日々実践することが大切だと思うのです。「所作」とは、仏教で「身と言葉と心の三つのはたらきの現れ」をさします。その心とは、慈しみの心にほかならない。思いやりや慈しみを体現し、それを、「型」として日々実践することによって、私たちは慈悲の心をさらに深く胸に刻みつけていくのです。私たちにとって、合掌・礼拝や朝夕の読経供養も大切な「型」の一つ。身で示しつつ、心が乱れても、すぐに思いやりや慈しみの心に返れます。その意味で「型」は「方便」ともいえますが「真実」に直結するものです。
この世に、一人として同じ人はいないのですから、心を反映した「型」も個性に従って多様であるのが自然。ご供養も正座が基本といわれても、膝が痛くて正座ができない人もいます。それは「型」を外れる所作かといえばそうではないはずです。仏教に「一即多・多即一」という言葉がありますが、根底となる思いや願いを忘れないことが肝心なのです。仮に個性の数だけ「型」があるとしても、自分勝手な「型」は「型」とはいいません。むしろ「自分の思いどおりにしたい」というわがままな心を抑えるために「型」があると言えるのです。「おはよう」のあいさつを「型」として身につけていると「顔を見たくない」という「我」が、その「型」によってとり払われて、自然に「無我」の状態になれます。調和を取り戻す一歩となる。
本会の法座や読経供養、あるいは「まず人さま」の実践もそれをつづければ仏さまのような慈しみ深い人になれるという「幸せの方程式」として、本会の歴史を支えてきた大切な「型」であると思います。と会長先生よりご指導をいただきました。 合掌