【7月の教会長メッセージ】
6月は、「半ケツとゴミ拾い」の著書でおなじみの荒川祐二氏より、「自分を変えたい」と心を揺さぶられる講演会を聞かせて頂き、また、アフリカへ毛布をおくる運動も現地に行った青年二人の報告に感動し、会員が立ち上がり、目標を大きく突破できました。雨の少ない梅雨でしたが仏と向きあう行事も少ない6月に、「愚痴を言わない」と会長法話でご指導を頂き、思わず愚痴を言いたくなる自分の心を見つめました。7月は、盂蘭盆会があります。ご先祖さまからの「いのち」を受け継いできたことは、誰もが理解できます。その上で今月の会長法話では、「相手を認め、讃える」、「いのち」を讃歎するとご指導を頂きました。
一般に「讃える」とは、成績がいいとか、仕事が早いとか相手の長所を指して「すぐれているところ」を認め、讃えます。その讃えるの反対語はというと、罵り倒す(ののしりたおす)。相手を責めたり、中傷したり非難することのようですが、そんな心があるときは、なかなか相手を讃えられません。いっぽう釈尊は、自分の生命を奪おうとした提婆達多を「善知識」と讃えました。仏教での「讃歎」は「仏・菩薩の徳をほめ讃えること」と教えています。人を評価し、判断する上で、その人の行動や言葉や性格は無視できないものですが、そこにとらわれず仏性という視点を忘れないで、相手の仏・菩薩としての輝きを見て、その「いのち」を讃歎する。そして、お互いさま、本来、仏・菩薩の徳を本具(人としてもともと具えている)する、「いのち」であると教えて下さっています。
人材育成や子育てのマニュアルには、「ほめる」効用があふれています。慈雲尊者の「やってみせ 言うて聞かせて させてみて ほめてやらねば 人はできぬぞ」の言葉がありますが、山本五十六はその名言に続いて「話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず」「やっている 姿を感謝で 見守って 信頼せねば 人は実らず」とあります。
教えるほうも教えられるほうも、ともに成長していくことの大切さを示して頂き、相手を認め讃えることは、ノウハウや言葉でなく、自他のいのちの尊重と、相手の成長を心から願う気持ちに尽きると教えて頂きました。 合掌