【9月の教会長メッセージ】
先月は終戦記念日があり、戦争犠牲者の慰霊供養を行い、命の尊さをみつめ、心より世界平和を祈らせて頂きました。また、お盆があり、ご先祖さまへの感謝を深める月でした。9月は、脇祖さま報恩会、敬老会、彼岸会と、8月に引き続き、ご先祖さま、諸先輩方への感謝を忘れず、精進させていただきましょう。
今月の会長先生ご法話【与える喜び】から、損得を超えるものをご指導いただきました。ここにおにぎり一つあって、周りの人も私も空腹だったらどうされますか?余裕の度合いもあると思いますが、自分がものすごくひもじい時は奪い合うかも、人さまの切羽詰っている様子を見たら譲れる?沢山あったら分け合えるかも、でも少ないと迷うなど・・・。ものへの執着が取れたら、させてもらえますが、なかなかそれが難しいですね。自分の心のバロメーターとして、信仰者としての成長具合がわかります。人間には欲望を満たす以上の幸せを感じられるスイッチがあるということですが、誰にも慈悲の心、仏性があると信じられれば良いですね。
与えるほど喜びになる。喜びは思いやりのなかに お年寄りもしてもらうばかりでなく、してあげる喜びをあじわい、人に喜んでもらえることを生きがいにするのです。脇祖さまは観世音菩薩のように、人さまの声を聞き、こちらの価値観ではなく、相手が本当に欲しているものを与えて救ってこられました。一般常識をあてはめず、どんなに辛いのかと気持ちを汲み取り、相手を思いやり同悲同苦を目指していく。思いやりから発すれば、相手のニーズに合う行いが出来ます。
簡単には相手がわからない、だから知る努力をする。決して、してやったという上から目線ではなく、させてもらうことが好きということが大事です。難しいからこそ、喜びも大きいのです。私たちは幸せになりたいと菩薩行を実践しますが、それだけではなくて、菩薩行ができたそのこと自体を、自分の成長として見つめることが有難いのです。その繰り返しによって、思いやりのスイッチが入り、仏さまに近づくことになるのではないでしょうか。生きる喜びをつかみましょう。 合掌