11月教会長さん【11月の教会長メッセージ】
開祖さま入寂会、日蓮聖人遠忌法要、生誕地まつりと行われ、有難い教えを頂き、救って頂いた感謝と恩がえしが少しでも出来たでしょうか。また、会長先生の『みんなすばらしい』の先月のご指導の実践として、拝みにくい人への仏性礼拝の修行は出来ましたでしょうか?


今月は開祖さま生誕会があり、法座席にりんごの木が立ちました。一大事因縁をかみしめ、私達を救って、幸せにしてくださる為にお出まし下さったそのことに、布教と共に物心両面にわたる、感謝の心をあらわしていきたいものです。

11月の佼成では、【徳を養い、発揮する】ということで、生活の中で徳を積む大切さを説いて下さっています。何か良いことをすると認めてもらいたいと思う気持ちが湧きませんか?しかし、自らがさせてもらいたいという気持ちで、人に知られないような行い『陰徳を積む』のがとても大切です。昔は、バス停の掃除や、草刈りなど当然のようにする方がいましたが、最近は少なくなりました。「善い事を繰り返し行うその一瞬一瞬の実践が心を豊かにし、喜びと楽しみを味わうことができるのです」と会長先生はおっしゃっておられます。目にみえないものは意味がないように思うかもしれませんが、したこと自体が有難いと思えれば、陰徳が積めるようになります。

「日々徳行を」では、他人の過失について語る人は、我が身に徳のない者であるということですが、人の悪口を言っている時は、自分が間違っていないという思いから、相手には、良いところが無いように感じてしまう。そういう時は自分の良いところも見えていないのです。ですから、謙虚になって、相手の良さを見つけられる自分になれるといいですね。その余裕は徳分なのです。何事も腹をたてている時は難しいですが、電車の中、家の中、教会の中とどこにいても、まず人さまのことを思い、明るく、やさしく、温かく、人知れず実践して、智慧と慈悲の心を取り戻し、陰徳を積んでいきたいものです。
開祖さまに倣って、「喜心」「老心」「大心」を生活の指針に、徳を貯めることを目的にするのではなく、結果にとらわれず自分の成長に価値を置いて、人さまの為にできたそのものが「有難い」「幸せ」と感じられる生き方をしていきましょう。   合掌