本年も寒修行を終え、節分を迎える時となりました。今年は昨年とは打って変わって暖冬のようですが、地球温暖化現象の影響かと思うと心配なところではあります。
今月の『佼成』会長先生ご法話では、「食事のありがたさ」と題し、
「あって当たり前」と思っているところから食物のいのちをいただくお陰さまで生かされているという、感謝に発想を切り替える必要性が説かれています。
昨年、給食費を払っているのだから学校での昼食のときに「いただきます」という挨拶は必要ない、と言っている親がいると聞いて愕然といたしましたが、給食費を払っていようがいまいが、もちろん給食費を払えるのに払わないのは問題ですが、そのこととは関係なく、いのちというものは、太陽の光、空気、大地の恵みがあって始めて成り立つものであって、その大本の自然に対する感謝をなくしては傲慢といわれても仕方がないのではないでしょうか。そしてご法話にありますようにお米と言う字は「八十八」と書く。それはお百姓さんの「八十八」の手がかかっているからだ、と私たちは幼い頃教えていただきましたが、そのような見えないところまで見えるような心を養い、感謝していく精神を培うのが教育の大切な道であると思います。
会長先生は、さらに、仏教では「成道の為の故に今此の食を受く」とあり、食事の最終目的は成道せんがためであると、教えて下さいます。私たちはついついその感謝もなく当然のように毎日色々なものを食べてしまいますが、今一度会長先生の説かれるところへ立ち返って、生かされているこのいのちを人さまのため、社会のために役立たせられるよう精進させていただきましょう。 合掌