阪神淡路大震災 13年
(1月17日読売新聞より)
6434人が犠牲になった阪神淡路大震災の被災地は17日、13回目の朝を迎えた。
震災で長男涼介君(当時5歳)を亡くした時田郁江さんは、震災後生まれの6年生85人に当時のことをありのままに語った。
兄弟3人の中で涼介君だけ、祖父と一緒に1階で寝ていて家がつぶれ、自分が「殺した」ように思ってきたこと。救急車を呼び止めたのに、「生きている人が先」と言われ立ち尽くしたこと。そして、生まれ変わりのようにその年の10月に美潮(みしお)さんが生まれ、家族の「希望の光」になったこと。
楽しいことも悲しいことも生きていればこそ。生きていることは、それだけですばらしいと話した。
それから2週間後時田さんの元に幼い字で50通の手紙が届いた。「ぼくは、意地悪に負けて弱いと思ったけど生きていることをほこりに思いました。」「大切なのは生命、いじめられたりしていても、友達としゃべったり遊んだりすることがとてもすばらしい。」「人は生きているからけんかや友達もできる。生まれてきてよかった。」
語り伝える大切さを時田さんは、再確認し、これからも語り続けることを決心したと・・・・・。
神戸教会でも17日、阪神淡路大震災犠牲者慰霊法要が行われました。淡路支部では入会間もないN・Kさんがご主人の弟さんを震災で亡くされ、弟さんの供養になればと奉献に初めて参加されました。
(N・Kさんより)
義弟の生命に対して軽んじていた自分に気づき、ご両親や主人の悲しみに対して、冷たい自分であったと真剣に反省しました。ご本仏さまに近づくにつれ、身が震え、このお役に対して有難く、涙があふれて止まりませんでした。
このお役のお陰さまで生命の尊さを深く見つめることができました。ありがとうございました。 合掌
亡くなった人達、生き残った人達も同じ運命共同体であると教えて頂きました。
私達には、生命の尊さ、有り難さを伝えていく使命があると思います。心新たに布教伝道をお誓いしました。
最後に「幸せ運べるように」を大合唱して、真心の慰霊法要を終わりました。