お花ライン

与論島1 尼崎南

鹿児島の最南端に
周回20キロメートル程の
珊瑚から出来た小さな島
与論島があります。

私はその島で生まれ育ちました。

平成24年5月26日、午前6時30分 父は静かに他界しました。

知らせを聞いて、私達は27日早朝に関西空港に向かう道中
東の空から真っ赤な太陽が静かにのぼって来るのが、とても印象的でした。
それはまるで、親父の第二の旅立ちの姿に見えました。
103歳という、稀に見る長寿を立派に生き抜いた父の生き方に
残された私達は学ぶ事があると同時に、その命をそっと
支え続けてくださった長男夫婦の寝食おしまぬ努力と
心静かなもてなしに何と御礼申し上げたら良いか、言葉が見つかりません。

与論島2 尼崎南与論島5 尼崎南与論島3 尼崎南

父が若い頃、八重山・石垣島・台湾・パラオ島など南の方に漁に出たと聞きました。
それから島に帰り、結婚後3人の子供を連れて開拓団として当時の満州に渡り
普通では出来ない貴重な人生経験をしたのです。
戦争に負けて、気が遠くなるほど長く厳しい帰省の道を歩き続け
何とか無事に与論島に帰ったら、先祖さまが残してくれた土地で
農業をするかたわら海に出て、魚や貝を採って私達を育ててくれました。
大切な事は私達が今、こうして生きていられるのは両親のおかげ
そしてそのお父さん・お母さんのおかげと教えて頂きました。
私達がまったく知る事の出来ない長い長い、ご先祖さまの命の繋がりに
生かされているんだと気付く事が出来たら
必ずみんな幸せになれると信じて居ります。

父は苦しい中にも大勢の子供や孫、玄孫に囲まれて
『じいちゃん、じいちゃん』と慕われてとても幸せな人生だったと思います。
実家で何かあると、40名程の大家族となります。
父の告別式について、私達は与論のしきたり通り神式で話を進めておりました。
ところが他宗派を拒む与論では、とても考えられないお手配がついたのです。

与論島4 尼崎南父が生前からの願いだった
佼成葬(仏式)が出来る事になりました。
これまで一度も佼成会の佼成葬の葬儀を
与論では行ったことはなかったそうです。
たまたま、徳之島から修行で来られた支部長さんの
一念から発した出来事だったようで
真新しい500人収容の告別式場で
導師・脇導師の心のこもった命の供養が始まり
一点のくもりもない不思議な空間に出会いました。

お経が終わり、導師さんの熱意に満ちた説法に
島の人達は、初めて聞く法華経の教えに目を白黒させる人
うん、うんと静かに目をつぶって頷く人・・・息を飲む思いで見ていた私は
『なるほど、これが命の供養なんだ』と、気付く事が出来ました。
法華経は決して特別な教えではなく、皆さんが大切にされている
親孝行や先祖さまを大切にする教えです、とわかりやすくお話して下さいました。
この尊い み教えを広めるために命を拾てる事がありがたいです・・・と言って
修行されたお釈迦さまの十大弟子、説法第一の富棲那尊者のように
一人でも多くの方に幸せになって頂くために、命がけで説法される
鹿児島教会の幹部さん・支部長さん・壮年さんの姿に心打たれ
私も同じ命をかけるなら、こんな素晴らしい生き方をしてみたいと
感動した次第です。

最後に、私達夫婦が島に向かう時に
『くれぐれも夫婦仲良くしてね』と言って送ってくださった
支部長さんの深い慈悲に、心から感謝致します。
ありがとうございました。

平成24年6月30日 西 康雄

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