「横恋慕」など、あまりいい意味に使われない言葉ですが、「如来寿量品」に「衆我が滅度を見て、広く舎利を供養し、ことごとく皆恋慕を懐いて、渇仰の心を生ず」とあるように、恋慕の意味は非常に深く、この末法の世において仏さまに遇いたてまつることは非常に難しいことなのです。いま現在、仏さまに遇いたてまつっていることを考えるとき、「自分は幸せ者だ」という気持ちがわいてくるでしょう。また、まだ仏さまを見たてまつっていない人にとっては「そんなにありがたい仏さまなら、生涯のうちに一目でもお目にかかりたい」という気持ちになるでしょう。それが「恋慕」の心です。

佼成出版社「The Yakushin」1993年2月号・法華経日常語辞典より