私たちはふだん、「辛抱し、耐え忍ぶこと」という意味で使っていますが、もともとは、自分を偉いと思い他を軽んじること、高慢であること、我意を張り他に従わぬこと、という意味でした。仏教では我に執着する「我執」や、他を侮る「我慢」を戒めました。『無量義経』の「徳行品」に「是れ自高我慢の除こるに因って、是の如き妙色の?を成就したまえり」とあり、仏さまが自ら高しとする慢心を除かれたことによって、素晴らしいお姿になられたことを讃えています。「自分が正しい」という思いにとらわれたときは、「我慢」の意味を思い出し、反省することが大切です。
佼成出版社「The Yakushin」1993年2月号・法華経日常語辞典より