「果報」とは仏教語の「因縁果報」で原因と条件によって、さまざまな結果、影響が現れるということです。一般に「果報」とは、その報いのよいことだけを言い「幸福・幸運」を指します。幸運は自然にやってくるものだから、あせらず気長に待ちなさいという意味にとられがちですが、その真意は、ただ何もしないで寝ながら幸運を待つということではありません。「寝て待て」とは「練って待て」といった解釈もあり「人事を尽くして天命を待つ」という心構えで精一杯努力していると、幸運な結果につながるということでしょう。一歩一歩の着実な努力に裏づけられた心の余裕が幸せを呼ぶのです。

佼成出版社「The Yakushin」1993年2月号・暮らしの中の仏教より