☆1月にも朝の法座で発表させてもらい、教会長さんに教えて頂きました。その事が神戸教会のブログにのっていて感激しました。自分の気持ちが文章になっていたことが有難く、プリントしていつも持って歩いています。毎日ブログを開くことで、普段来れない私ですが、皆さんと一緒に修行させて頂けていると、励みになっています。
☆昨日主人がぎっくり腰になり、今日お当番に行けるだろうかと思うと気持ちが沈んでいました。朝に来させて頂き、聖壇の方を通して、私の心が迷った分だけ、仏さまは見せてくれると思えました。
☆地区の方の息子さんが39歳で亡くなり、お母さんの気丈さに感心しました。しかし私だったら気丈になれないと思い、一人暮らしをしている息子に思いを寄せて感謝させて頂きます。

手《教会長さんより》
昨日もお話しましたが、いつどうなるか分りません。
気丈でしっかり受け止めているお母さんも素晴らしいですね。しかし心配で心配でしょうがない・・・このことも大事です。両方大事なんですね。
ご主人がぎっくり腰で、出てこれるか心配。当然です。平気で出てこれるようではちょっと(笑)

悟るということと、やさしさ、思いというのはすっきり割り切れないものです。
心配しながら「なるべく早く帰ってくるね」と出かけたら、目の前のことをしっかりやりきる。事柄によって簡単にはすっきりしないですが、その事を乗り越えて、葛藤しながら掴んでいくことです。私は気丈になれない・・・無理しなくていいのです。比べなくていいのです。

ブログも色んな人が見ています。来れない人も一緒に参加できたり、触れられることはすごいですね。言ったことが一字一句書かれていたら、もう来なくてもいいのでは?と思ってしまいますが、要約しているから来られる。不便があるのが丁度いいんです。

ニュージーランドで地震があり心配ですね。ずっと心配することは難しいですが、自分の子供がニュージーランドに居たらと思ったらどうでしょうか。
「私以外関係ない人」ではなく、どれくらい自分の事のように思える人がいますか?
一気に世界中の人の心配は出来ませんが、いつも気になってしょうがない人が増えることが、器が大きくなることです。

今日の『一乗ブックレット』で「下がる」ということを教えて頂きました。「下がる」ということは、寄り添うことです。
例えば、旦那さんが「教会に行くな」と言ったとします。すると頭を下げて「行かせて下さい」とあなたは言います。これは下がったことになりますか?
なりませんね。行くなという旦那さんに背いています。頭を下げることが下がることではなく、心に寄り添うことが下がることなのです。
旦那さんは何故あなたに行くなといったのでしょう。寂しいからという理由なら行かない。家の事もしないで出て行くなという理由なら、家のことをしっかりして行かせて頂く。「行くな」という気持ちに添うことです。
だからといって、教会に行かなくても「あなたの言う通りにしたけど、文句ある?」という態度では下がっていませんよ。気をつけてくださいね。
と朝の法座から、教会長さんよりメッセージを頂きました。(スタッフBより)

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