6月20日に大阪教会で行われたピースフォーラム2010の内容をお伝えいたします。
午前の部では、広島の原爆被爆者の語り部さんのお話を聞かせていただきました。
昭和20年8月6日8時15分に45万人もの命を奪った悪魔の兵器「核爆弾」(リトルボーイ)は広島へ投下されました。
語り部さんは広島2当時13歳でした。彼は、原爆投下後の事をこう語りました。
「爆風で吹っ飛ばされて何も覚えていない」
広島1広島に落とされた原爆は、爆心地で3千℃を超える熱線。爆風は16km先まで届きその威力は秒速440mの速度で広島を襲いました。
当事広島駅にいた語り部さんが「吹っ飛ばされた」と答えるのも「覚えていない」のも確かに頷けるとともに、生き残れたその事がすごい奇跡だと感じました。
そして、原子爆弾の悲劇はまだ続きます。放射能は見えない悲劇を生み、「75年草木も生えない」と言われるほど、被爆者を苦しめる差別・偏見が生まれました。女性は、結婚・出産を考えて被爆の事実を隠しました。この事が、原爆の事実を闇に封じる結果を生んだようです。語り部さんも、つい最近まで、被爆の事実を封じていたようです。

語り部さんは、被爆当事、顔は腫れ上がり、衣服はボロボロだったそうです。市街地の広島が、遠くの山まで見える程、建築物は破壊されていたそうで、原爆の威力はそこからも感じ取れます。

語り部さんは、家に帰ると、両親から「ほんとにあんたか?」と確認されるほどの火傷でしたが、現在ケロイドひとつありません。それは、とある外国人が、牛の生血を飲ませてくれていたことがケロイドを治す事に一役買い、さらに放射の後遺症にも何らかの免疫を与えていてくれたようです。

最後に、15歳の少女の話ですが、語り部さんの話を聞いて、「よくわからないけど、怖い。核兵器は無くして欲しい」と語っていました。そんな子のためにも、平和な世界を早く実現したいものです。  がんばります。