12月教会長さん【12月の教会長メッセージ】
開祖さま生誕110年、法灯継承25周年という意義ある年の11月に、記憶に残る生誕会式典が行われました。また、「七五三」の人生儀礼を大切にして、御供養の中で子供たちの名前を読み上げて頂き、写真撮影コーナー、碁盤の儀や歳太鼓など、楽しくお祝いをさせて頂きました。
12月は、成道会があります。新年を迎える大切なつなぎの月として、これからの自分づくりの精進となる目標や心を定める月です。


今月の会長法話は「仰いで天に愧じず」「やましいことはないか」と自らを省みるご指導をいただきました。『大好物のお菓子が出てきて、「大きい方がいい」と思ってもおそらく多くの人が比較的小さなお菓子を手にとるように思います。欲望まるだしの態度は人として恥ずかしいという気持ちがはたらくからです』と会長先生はおっしゃいます。その通りですね。お天道様や仏さまが見ていると自分の心にブレーキをかけて来たのではないでしょうか。日本には古くから武士道があり、とても謙虚で「恥を知る」「下がる」というすばらしい精神があります。

そして、仏教で、十界互具と説くように、人はみな、心のなかに欲得づくの「私」もいれば、清廉潔白な「私」もいます。自己中心から、仏・菩薩の心まで併せもっているのが人間である。また、過ちという字が過ごすと同じ字を使うことから、その意味を重ねて「人生とは過ちをおかしながら生きること」と教えているように受け止められます。だからこそ、自らを省みることが大切。

神仏を仰ぎ、敬い、神仏と向きあうとき生まれる「自分はまだまだ至らない」と慙愧の思い。それは、釈尊が「恥じることを知る心は、どのような衣服よりも人を清く、美しく飾る」といわれるとおり、私たちの人間的成長に資する原動力となる。「仰いで天に愧じず」とは、偉大なるものに少しでも近づこうとする人間豊かな生き方と教えて頂きました。「人にも、自分にもいつも誠実を旨として生きる事が大切です。まず、人さまの心を大切にしましょう。素直に人のために働いているときに、自分の利益を先にする気持ちは起きないからです。とご指導いただきました。

「先憂後楽」の精神です。信仰者の私たちがまず先にたって、人さまへの思いやりを一日でも積み重ねて、少しずつ成長していきましょう。    合掌