東北に行ってきました
震災後、初めて東北に行きました。出発するにあたって、私で何か役に立てることがあるならぜひお手伝いしたいと思いました。
何軒かのボランティアセンターに問い合わせしましたが、震災後、6か月が過ぎてボランティアセンターが閉所されているところも多く、個人のボランティアの受け付けは交通がまだ整わないところに限られていました。一人では遠すぎて行けない現実でした。
何もお役に立てないのにと思うと、そんな自分が東北に旅行していいのか?と考えてしまいました。
そんな時にテレビで「夏休み・東北、被災地を見る中学生ツアー」を放映しているのを観ました。ひとりの女子中学生が「何もできないのに被災地をただ、見に行くのはイヤ」と言っていました。あぁ、私と同じなんだ、と思いました。
結局その子は、両親の強い勧めもあってツアーに参加します。
そして、行った先々で被災された方から「来てくれてありがとう!東北は頑張るからね!」という言葉をかけられ驚きます。「こんな自分でも来て良かったんだ。こんなに喜んでもらえて、でも、なぜ?」と。
現地を案内して下さり、ご自身も被災された方が「それはね、『がんばってください、また来ます、東北を忘れません』と言っていただくと、あぁ、今度、この方が来る時まで頑張ろう、町をきっと元通りにしようって思えるからですよ。来ていただくだけでパワーがいただけるんです。」と言われました。
女子中学生は「来てよかった!」と最後に涙します。
東北に行こう。何もできない私だけど、私もやっとそう思えたのでした。
9月7日 仙台教会にお邪魔しました(^^)
玄関横のバス停には、あら、懐かしい?!
こういうさりげない布教がいいですね(^^)
その日はちょうど家庭修養日ということもあって、教会は人が少なく静かな雰囲気でしたが、お当番の泉西支部の方々が温かく迎え入れてくださいました。
(
以前は支部長さんをされていたというOさん、ご自分の家も被災されていますが、
いつも、神戸教会のブログ見てます!
Aさんはサンガの皆さんと一緒に
お会いできた皆さん、お世話になりました<(_ _)>
本当にありがとうございました<(_ _)>
泊まったホテルに作られていた「希望の鐘」です。
松島の美しい景色を望む山に立つそのホテルには、警察や病院からの派遣員が大勢、宿泊されていました。兵庫県警や西宮の方々も数多く来られていました。
被害の甚大さの前で改めて、ご冥福をお祈りするとともに、残されたものが後世に津波の恐ろしさとともに、人々が助け合い信じあう「希望」も語り続けられたら、と切に願いました。
9月8日
この日は主人がレンタカーで沿岸部を案内してくれました。
松島→南三陸町→石巻→東松島→名取
沿岸部はどこも突然に景色が変わります。
「あぁ、ここまで津波がきたんだなぁ」とすぐにわかります。
ほとんどの瓦礫が、分別され、土地も整理されつつありますが、爪後はここかしこに残っていて否応なく目に入ってきます。
写真は南三陸町の「防災庁舎」です。防災のための建物が、一階部分の鉄骨は折れ曲がった状態で骨組みだけになっています。
多くの方が犠牲になった津波ですが、『生き残ったものには生き残ったものの使命がある』と、現地の復興リーダーYさんからお聞きしました。建物の土台だけが残る市街地に、「○○商店△▽通りで営業再開しています」という看板を何枚も目にしました。地元企業は丘の上の商業センターなどで、営業を始めています。
大自然の前で人間は確かに小さい、でも小さい人間は知恵と気力を持っている、ある意味、とても強い!と感じました。
思いかけず教会長さんにお目にかかれ、じかにお話を聞くことができました。
石巻教会も一階の絨毯が浮き上がり、土砂が上がってきていたそうです。6か月たって今はきれいで想像できません。「ちょうど9月1日から通常通りに教会を開けているんですよ。よく来てくださいました。」と言われました。
「神戸も震災の時は大変でしたね。ぼくも二週間ほど神戸教会にお手伝いに行ってました。まさか、石巻がこんな風になるなんてねぇ~。でもいろんな方から応援をいただいて大変ありがたく思っています。
津波さえなければ、もっと復興は早いだろうと思いますが。今回の地震でいろいろなことを考え直す機会をいただいたように思います。ひとりひとりに向き合いたい、『元気ですか?何か悩んでいますか?』と声をかける生きたお手取りを大切にしたいですね。ある意味、最初にかえって、と言うのかな?ひとりひとりが大事なんです。そこからご法をお伝えしたいですね。」
もっとお話を伺いたいと思いながら、30分という短い時間しかいれませんでした。
また、ぜひ、石巻教会をたずねていきたいです。
石巻の教会長さん!お会いできた皆さん!本当にありがとうございました<(_ _)>
あ