北神支部さんとバス一台で九月十四日、十五日と釈迦牟尼仏ご命日団参に参加しました。六月に母が交通事故にあいましたが、お陰さまで退院し、住みなれた家に戻って来る事ができ大変喜んでいます。今年の団参はそのお礼参りもできました。今回始めて車輌長の大役を頂き大変緊張いたしましたが、北神支部の皆様、支部の皆様に支えて頂き、五十二名有り難い思いと共に、無事に帰ってくる事ができました。
式典当日、神戸教会は一番前のまん中のブロックに席を頂き、その最前列に支部長さんのお慈悲を頂き座らせて頂きました。真正面のご本仏さまはとても大きくにこにこされていました。会長先生、光祥さまをま近で拝見させて頂き感動いたしました。会長先生のご法話の中で「感謝をしていくと幸せになっていきます。幸せは今頂いている事。今目の前のことに一生懸命していく事、今の状態に感謝していく事」と教えて頂いた事が心に残り、家族やふれあう方、今の状態に感謝し、精一杯生きていこうと決定いたしました。ご本部団参誠に有り難うございました。
神戸教会六十周年の年に団参に参加させて頂いたこと、主人の十七回忌の月に本部にお参りさせて頂けたこと、元気でサンガのみんなと行動を共にできたことに感謝の気持ちで一ぱいです。ご本仏さまのやさしい笑顔のもとご命日の六時、九時の両供養に見も心もすがすがしく、神戸を立った時の暑さは、どこへやら東京の秋らしい涼しい朝でした。
どの法座主さんも物事のよしあしにかかわらず、今目の前の事を相手の思いになり、やさしくお話してくださいました。器の大きな受けとめかたで聞かせて頂いている人、皆自分の事の用に受けとめ心安らかなひとときを過ごすことが出来ました。
会長先生も今を生きる事、今命あることに感謝しましょうと教えてくださいました。
とてもさわやかな一日を有りがとうございました。
釈迦牟尼仏ご命日の団参は、体調をくずしていたので迷っていました。主人の「大丈夫」の言葉より止めてほしいのが本音でした。団参を決意したのは、娘に家のお手配を頂いた事です。
とてもありがたく、感謝のお礼まいりをさせて頂こうと思うと、少し元気が出ました。
支部長さんも、「団参はぜひとも」と言って頂いていたので、約束が果たせて、肩がスッと楽になりました。夜中は咳きもなく久し振りに熟睡しました。
会長先生のご法話は、大人しい人、大人としての物のとらえ方、をすると、争いがおきない事、人は皆、生かされている事。その事に感謝する事。式典の後の法座では感謝の言葉が、あふれていました。
「ありがたい」と思うと、自身の仏心が、目覚め、いつしか笑顔になり、やさしい気持ちにならせて頂けた事を実感しました。
大聖堂玄関前に設置された「蓮の花」の池(?)を佼成ニュースの映像で見て、一度見てみたいと思っていました。季節はずれなので諦めていましたが、殆ど枯れてしまっている中で、たった一輪”凛”と白い蓮の花が咲いていて、とても感動しました。会長先生のご法話の中の、過去を引きずらず、未来を憂いず、今を精一杯生きるとのご指導と重なったからです。どんな環境にあっても輝いている蓮の花を見て、生命の不思議、尊さを教えて頂きました。生かされている生命が輝きます様、み教えを実践していきたいと思います。